うちの末っ子、たっくん。小学5年生。

先月あたりから 学校へ行きにくくなってます。

「とうとう来たか!」

そう。

私の中で 発達っ子が不登校になるのは ごく当たり前の(?)過程であり、もちろん上の子たちも中学3年間のその前後から だいたい学校へは行きにくい子どもでした。

だって、そもそも発達っ子たちは 学校が楽しいなんて思ってない子が多いのです。

むしろ「なんでここに来ないといけないのか?」の方が強いんじゃないかな。

「義務教育だから」は彼らにとって あまり意味がありません。

ここからは 非常〜〜〜に私的感情も入りますが、。

今の学校教育では とうてい不登校児は減りません。

凸凹がある私たち発達障害当事者にとって「平均値」を求められたり ましてや「みんなと同じ」を求めらるなんて苦痛でしかありませんもの。

月曜から金曜まで、朝から夕方まで、毎日毎日 おんなじメンバーとおんなじ箱の中に詰め込まれて したくもない勉強をさせられ、よく分からないルールに従わされ、理不尽に叱られたり誤解されたりする生活。

「◯歳だから 出来て当たり前」の概念で出来なければ 排除されるこの仕組み。

はい。

私は学校が嫌いです‼︎

今の教育の仕組みを変えないと、日本は変わらない!くらいに思っています。

この教育を受けて社会に出る。

当然、社会でも「これくらい出来て当たり前」感覚。

それがほら。

社会人だと不登校じゃなく、今度は鬱になる。引きこもりになる。

どんどんみんなが追い込まれちゃってる。

悲しすぎませんか?

話は逸れてしまいましたが、決して 発達っ子と不登校は切り離して考えるべきではないと思います。

我が家の上の子たちは 明るい朗らかな不登校でした。

学校に行けば 明日死んじゃうんじゃない?ってなくらいしんどくなってましたが 休んでると 落ち着いて過ごせてました。

じゃあ進路は?高校は?就職は?

どうにでもなります!

社会に出て、最初に必要なのは通知表なんかじゃありません。

人間力です。

「勉強さえ出来ていれば何とかなる!」は大間違いです。

勉強ができる子は頑張ればいいんです。

出来ない子がダメなんじゃないんです。

でも、私は学校は社会の縮図だと考えているので 行けないより 行けた方がいいと思います。

でも、行くなら楽しく行って欲しい。

どんどんと思春期に近づいてきて たっくんの小さな心でいろんな事を考え始めてきてるのでしょう。

この時期から親の務めは黙って見守ること。

彼のタイミングで登校したり、休んだりするのでしょう。

行けた時に「がんばったね!」って次に繋がる言葉をかけるくらいしか 親の私に出来ることはありません。

不登校でも上の子たちは 高校に進学しました。

何とでもなる。

どうにでもなる。

でも、黙って見守ることのしんどさ!

笑ってればなんとかなるなる!

自分に言い聞かせながら 毎日を楽しみたいです。

ストレスもあるさー@サリー