私が発達障害と診断されて10年になります。

10年前と比べて 発達障害の名前の認知度は高くなり 本当に理解してくださる方、助けてくださる方も増えてきました。

当事者の話に耳を傾けてくれる方、団体、専門家もグンと増えています。

これはホントにありがたいことです。

でも。

「わかってもらって、助けてもらって当たり前」ではありません。

私たちが社会の歯車の一つとして就労したい、仲良くしていきたいなら 私たちも社会のルールを学ぶ姿勢は不可欠だと考えています。

できない。

わかってほしい!

だけを訴えても それは相手に我慢させるだけ。

理解と我慢されることは違います。

「友達が出来ない。

友達が欲しい」なら

自分を知り、相手に歩み寄る努力は必要なのです。

少しずつ自分が変わるしかないのです。

「何をやってもうまくいかない。周りから攻撃される」

こんな考えでは いつまで経っても誰とも上手くやっていけません。

私はそのあたり、ズバッと指摘します。

都合の良いところだけ「障害者」になり、都合が悪くなると「わかってくれない」と嘆く。

私たち発達障害は外からはわかりにくい障害です。

どうしても出来ないこと、わからないことは助けてもらわないと いきていけません。

それでも、できることは精一杯する。

助けてもらったら感謝を伝える。

間違えたら謝る。

人として大切なことです。

人は間違えながら、失敗しながらしか成長できません。

人に迷惑をかけたら、

人を不快にさせたら、

わざとじゃなくても

「ごめんなさい」が必要。

「だって◯◯やもん」は説明じゃなくて言い訳。

そんなの必要ありません。

私もそうですが。

これまでイジメにあったり、仲間ハズレにされたり、辛い経験をしている人が多い発達障害当事者。

でもその辛い過去に執着していても何も始まりません。

変わりたいのなら、楽しく生きて生きたいなら、自分が一歩前に出るしかないのです。

そして、ようやく周りのサポートを受けることができて、自分らしく生きることが出来るのです。

注意されたことや自分と違う意見を「否定された」と受け取ったり 周りを攻撃している人は…

残念ですが人が離れていきます。

どう生まれてきたかより どう生きるか。

これが大事です。

私は発達障害当事者でありながら当事者の味方です。

だからこそ時には厳しい事も伝えます。

誰もが自分らしく生きていけますように。